かん医者
かん医者
徳島には有名な病院の廃墟が幾つかあり、とりわけ天野病院、かん医者、福井病院は三大病院廃墟として有名で、いずれも心霊スポットとしての知名度も高い。
その中から、今回は「かん医者」を訪れてみた。
事前の情報では既に取り壊されているとの話であったが、有名スポットだけに、跡地だけでも見てみたいというのが正直な所だった。

そもそも「かん医者」の「かん」とは「疳」(注.1)あるいは「癇」(注.2)の事で、当時はこの「かん」を専門に扱う開業医がいたらしく、ここはその「かん」専門の医師の病院兼住宅であったらしい。

「K町役場の近く」ようやく手に入れた所在に関する情報は、わずかこれだけだった。
それだけを頼りに取敢えず上板町役場に行く、しかし、周囲に人は居らず、尋ねようにも尋ねる事さえ出来ない。役場の周囲を散策すること暫し、ようやく庭先で孫娘さんに竹鉄砲(懐かしい…)を作っているご老人を見つけ、早速「かん医者」の事を尋ねてみる。
すると、件のご老人は、「あぁイ○ミさんとこやな。それやったら…」と、丁寧に道を教えて下さった。ただ、詳細な場所は口では説明出来ないので、その近くの目印となる鉄工所までの道のりを教えて戴き、その界隈でまた訪ねて下さいとの事だった。
教えて貰った通りに車で進む事10分弱。教えて頂いた通り鉄工所が見えた。しかし、時間的なものか、またしても周囲に人の気配は無く、周辺を散策する事暫し。
そうこうしていると、軽トラックで畑仕事から帰ってきたご老人を見つけたので、すかさず尋ねてみる。
そのご老人は、「(前略)その道をずっと行くと、おおきなヒエ(塀)と門が見えてくるから。その門の右手に見えるのが母屋で、門の前には大きな石碑が建っているから分ると思うよ。」と、不思議がる事も無く丁寧に道を教えてくれた。
今居る場所からだと歩くよりは車があるなら車で行った方がよいとも教えて下さった。
それほどに距離があるのか…
「どこがK町役場の近くなんだよ…」と不満を漏らしつつも、車を走らせる。
暫くすると、先ほどのご老人の言っていた大きな石碑が見えた、その次の瞬間、とてつもなく大きなお屋敷が視界いっぱいに飛び込んできた。
屋敷(病院)の手前には、大きな「林○雄先生報恩紀念」と刻まれた石碑と、その隣には顕彰碑が建っていた。この林○雄氏が「かん医者」と呼ばれた医師らしい。
そして、目の前には高さ1メートル程の石垣の上をさらに漆喰の塀が取り囲む、まるでお城のようなお屋敷がそこにあった。
その敷地の広さは、目測だが優にサッカーグランド2面分は有ろうかというほどの広さである。
かつては、この広大な敷地内に4~5棟の建物があったという。
しかし、母屋以外の主だった建物は平成15年の中頃には解体撤去されていたようで、現在は、敷地内の母屋の他に、塀の外に、土蔵と昔の小学校のセットを彷彿とさせる診療室あるいは物置のような建物が残されているのみである。

すでに取り壊された建物だったのか、今も残る母屋の事なのかは定かではないが、1階が病院施設で2階が住居だったという。聞く所によると、1階の内部には、カルテや手術道具、薬品、レントゲン写真、人間の血液のような物が入った瓶、そして、このかん医者で一番有名な「赤ちゃんのホルマリン漬け」があったという。
2階には仏壇などが残されたままとなっており、何故か供えられている線香がいつまでも新しいという。また、人間の歯が散乱していたともいう。
さらに、この建物を解体していた時、赤ちゃんの死体が出てきたともいう…

注.1 【疳】子供の慢性胃腸病。症状としては体が痩せて腹部が膨れてくる。
注.2 【癇】小児病の一種。筋肉が引き攣って苛立つという症状を起こす。かんのむし。



本ページはフレーム構成となっております。
左端にメニューが表示されていない場合はこちらからどうぞ。