首据石

首据岩
戦国大名浅井(あざい)氏の居城、近江国小谷城址の黒金門の手前に「首据石」という上部が平らになった石がある。
この石の上に罪人の首や、敵将の首級を晒したと伝えられる。
初代城主浅井亮政が六角氏と戦った時(大永5年(1525)か)、京極氏の筆頭根本被官今井秀信(箕浦城主)が六角氏に内通していたことを知った亮政は、天文2年(1533)、長浜の神照寺庭園で催された茶会にて今井秀信を謀殺。同年正月三日に催された新年の茶会で今井秀信の首級が晒されたと伝えられる。


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