首吊り地蔵

首吊り地蔵があると言われている場所
愛知県西部にある津島市、そのほぼ中央に都市緑地「市民の森」がある。
面積24,000平方メートル、市街地の中に残された森といった感じで、一角には遊具や砂場のある芝生の広場がある。芝生広場で遊ぶ親子連れから、森の中に作られた遊歩道で犬の散歩やジョギングに興じる人がいて、その名の通り市民の憩いの場所となっている。また昼時には営業マンやドライバーの休憩場所にもなっている。
ごみ埋立地の上に作られたという話も聞いたが詳しいことは分からない。
(東隣に津島市下水終末処理場があることから、ここで出た汚泥を埋立処分にしたのかとも考えたが、汚泥の最終処分は民間業者に委託されセメントの原料となっているようである。)

聞いた話では、この市民の森に「首吊り地蔵」と呼ばれる、およそこの場所には相応しくない名前の地蔵尊がお祀りされているという。
何時頃の話かは分からないが、この雑木林で首吊り自殺があった。その供養のため首吊りのあった木の根本に地蔵尊をお祀りしたのだという。詳しいことは分からないが、その地蔵尊は「赤い地蔵」ということだった。

少し話が逸れるが、地蔵尊といえば路傍に佇む石造の地蔵菩薩像が思い浮かび、赤い地蔵尊と言われても私には全く想像が付かなかった。
調べてみたところ、同じ愛知県の西尾市巨海(こみ)町に「赤地蔵」と呼ばれる全身が弁柄(ベンガラ、紅殻:赤色の顔料)で真っ赤に染まった地蔵尊が祀られていることを知った。更に、長野県長野市をはじめ日本各地に「赤地蔵」と呼ばれる地蔵尊が祀られていることが分かった。(注.1)
大正14年(1925)刊の『長野市史』には、「これ等(赤地蔵)は皆火葬場の地蔵なりしを、市街発展の為に移したるものならん」とある。事実、長野市に点在する赤地蔵と呼ばれる地蔵尊の多くはかつて火葬場の近くに祀られていたという。
赤という色は、魔除け、邪気払い、また冥界を示す色と言われ、願い事が成就した時に地蔵尊に朱や弁柄を塗るなどといった風習に由来する様だ。
余談になるが、竪穴式石室を持つ古墳に埋葬された割竹形木棺の内面、外面、および石室の壁面には弁柄が塗られることが多く、棺の内側には朱(水銀朱)が塗られている場合もあり、ベンガラと朱の両方が用いられる場合もある。これらも、再生(当時中国で流行していた神仙思想では、水銀朱を飲めば不老不死の仙人になれると信じられたことから、死者の再生を願い)と魔除け(被葬者の鎮魂、被葬者が悪霊として禍をもたらすことを封じる)といった思想に基づくものと考えられている。
日本最大級の竪穴式石室を持つ長野県千曲市の森将軍塚古墳の石室内部も赤く塗られていた。

令和2年(2020)1月、津島市を訪れる機会があったので、こちらまで連れて来てくださった方に無理をお願いして市民の森まで連れて行っていただいた。
一口に市民の森と言っても、東京ドーム約半分ほどの敷地が前述の津島市下水終末処理場をL字形に囲むように南北、東西に細長く伸び、西南の角の芝生広場以外の大半を雑木林が占めている。
事前の下調べでは、日光川に向かって西から東に延びる細長い雑木林の中の遊歩道の所に件の地蔵尊があるということだった。
スマホの地図を見ながら雑木林の中を通る遊歩道を歩いて行く。
「地図上ではこの辺りに地蔵尊があるはずなのだが…」
行けども行けども地蔵尊らしきものが見当たらない。結局、市民の森の東端、日光川に突き当たるまで遊歩道を歩いてみたが、雑木林の中に遊歩道が一本続いているだけだった。その後も、市民の広場に限らず周辺に地蔵尊や地蔵堂などが無いかと散策してみたが、手掛かりらしきものは何も得られなかった。

首吊り地蔵があると示された場所には根元から切断された木の切り株が二つ残っていた。もしかすると、ここで首吊り自殺があったのだろうかと、想像をたくましくする…

(画像は首吊り地蔵が在ると言われている場所)




注.1 各地の赤地蔵の一例

・赤地蔵
愛知県西尾市巨海(こみ)町宮前
延享元年(1744)に建立された三体の石造地蔵尊。
ベンガラを塗られ全身が真っ赤になっている地蔵尊。
向かって右の地蔵尊は延命赤地蔵尊と呼ばれ、夜尿症に霊験あらたかと言われている。

・太田沢の赤地蔵
長野県長野市安茂里太田沢
天保10年(1839)作と伝えられる全身を赤く塗られら地蔵尊。
元々は太田沢の下流に在った火葬場の隣に祀られていたといわれる。
赤く塗られているのは、地蔵尊の霊力を高めるためではないかと言われている。

・浅河原(せんから)地蔵
長野県長野市上松5丁目 昌禅寺
高さ2.8メートルの自然石に刻まれた全身真っ赤な地蔵尊。
その昔、大地震による洪水で浅川に流れついた大石を昌禅寺に運び、この時の地震、洪水で亡くなった人の供養のためこの大石に地蔵尊を刻んだという。
どんな願いも叶えてくれることから「満願地蔵」とも呼ばれている。

・笠子の赤地蔵
長野県長野市信州新町越道笠子
身体の悪い所がある人が、地蔵尊の身体の同じ所(自分が治して欲しい所)に朱を塗って願うと治ると言われている。

・地蔵坂の赤地蔵
長野県長野市新町 地蔵坂
延宝6年(1678)在銘。

・西長野の赤地蔵
長野県長野市西長野
享保5年(1720)在銘。

・地蔵庵の赤地蔵(柏崎地蔵)
長野県長野市新町
謡曲「柏崎」に登場する越後国柏崎の領主、柏崎氏の子、花若の供養のために建立されたと伝える。
毎年、ベンガラで赤く塗られるという。

・西方寺の赤地蔵
長野県長野市西町 西方寺
赤は魔除けの色でであることから全身を赤く塗られた地蔵尊。
姑、舅の悩みに霊験あらたかと言われている。
善光寺守護のため四方に祀られたといわれ、東に太田、南に高土手、西に新諏訪、北に横山の赤地蔵があると言われる。

・高土手の赤地蔵
長野県長野市三輪田町高土手
盲塚(現 長野市旭町 長野第1合同庁舎、長野第2合同庁舎付近)に祀られていた赤地蔵。
明治7年(1874)、刑務所の建設に伴い現在地に移された。

・栽松院の赤地蔵
長野県長野市問御所町 栽松院
栽松院境内に祀られている赤地蔵。

・青木地蔵
長野県長野市吉田5丁目
宝暦11年(1761)在銘の三体の親子赤地蔵。

・野倉の赤地蔵
長野県上田市野倉 本当の名前は延命地蔵尊。全身を赤く塗られた木造の地蔵尊。赤い色は魔除けの色という。雨乞いの対象となったことから、雨乞い地蔵とも呼ばれた。
いつの頃か何者かに赤いペンキを塗られた。

・野辺の赤地蔵
長野県須坂市野辺町
高さ1メートルほど。亨保13年(1728)四月十四日在銘。
安産、子育て、病気平癒に霊験あらたかと言われ、願い事が成就した時に感謝の気持ちを込めてベンガラを塗る風習が江戸時代頃より伝わっている。
赤色は邪気を払う意味があるという。

・赤地蔵
長野県東筑摩郡生坂村北陸郷白日
生坂村指定文化財。
戦国期の山城、日岐(ひき)城の一角に鎮座する。諸説あるが、江戸時代初期、日岐氏が川中島の地から故郷へ戻り、先祖の供養のため建立したといういわれている。
何でも願いをかなえてくれると言われ、願い事が成就した時ベンガラを塗ったという。赤くるのは魔除けのためだという。
日照りが続いた時は、村人たちが地蔵尊を犀川まで下ろして雨乞いをしたという。この時、地蔵尊を引き摺ったために地蔵尊の顔が磨り減っているのだという。

・赤地蔵尊
山形県鶴岡市(旧温海町)温海
交通安全と航海安全を願って祀られた。

・赤地蔵
山形県東置賜郡高畠町入生田
こちらの地蔵尊は赤色が好きと言われ、お堂を赤く塗っている。その為、「赤地蔵」とも「赤お堂」とも呼ばれている。

・常喜院の赤地蔵
和歌山県伊都郡高野町 常喜院
本当の名前は恵宝(えほう)地蔵。赤地蔵、赤箔地蔵、玉地蔵とも言われる。
恵宝地蔵の名は、福徳、財福を大地の如く内蔵せられるという地蔵尊がその福徳を衆生に恵み与えるとの意味という。
赤色は高野山の鎮守、丹生明神の丹生(水銀朱)の朱色に由来するという。



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