蔵本城址の松

蔵本城址の松
JR徳島線蔵本駅のすぐ傍に一本の松の木がある。
この地こはかつて小倉美濃守重信の居城、蔵本城(倉本城)があった場所と伝える。
以前ある人がこの城跡にあった松の木を切ったところタタリがあったことから、以来タタリを恐れて誰もこの松の木にを切る者はいないという。

蔵元城が築城された年代は詳らかではないが、天文年間中期(1540年頃)といわれる。城主については、小倉美濃守重信とされるが、『古城諸将記』では城主を小倉美作守とし、『城跡記』には小倉佐介(佐助)とある。また『阿波志』では城主を小倉美濃守源藤政とし、小倉佐介はその一族であるとしている。
重信(佐介とも)は天文22年(1553)三月、名東郡東黒田(現 徳島市国府町)の槍場の合戦で主君細川持隆を殺した逆臣三好義賢を討つため、芝原城主久米義広、英城主仁木高将、佐野塚城主佐野平明らと共に義賢勢と戦ったが、久米義広と共に討死した。

蔵元城は眉山山麓を流れる田宮川右岸の沖積地、今のJR徳島線蔵本駅構内の北西端付近が城址と伝え、田宮川を外濠に利用した平城であった。現在は駅構内や住宅地、工場などになり、城の遺構は残っていないが、八坂神社、地福寺の付近からJRの線路を越えて北の水田辺りまでを「城ノ内」と呼び、線路の北側に城主を祀った祠が祀られている。


2018/12/22 加筆再編集。



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