タタリ薮

タタリ薮
徳島県徳島市川内町のある畑の片隅に小さな竹薮がる。
この竹薮は近くに在った沖ノ嶋城(城主、鈴江修善守道広)が長宗我部氏に攻め滅ぼされた時、落ち延びていった城兵達が討たれた場所だったといわれている。
土地の人はこの竹薮に足を踏み入れると必ずタタリがあるといって誰も近づかない。

沖ノ嶋城主、鈴江修善守道広は大永元年(1521)、将軍足利義稙に従い淡路に渡り、同三年(1523)に鳴門撫養に入る。しかし、ほどなくして義稙が没すると、同五年(1525)、鈴江道広は細川持隆に仕え、沖ノ島城に拠った。
永禄五年(1562)、和泉久米田合戦で戦死。川内榎瀬江湖川左岸の川内郵便局の前に鈴江氏の墓所があり、そのすぐ南には道広の菩提寺善集寺(元は修善寺という名前であった)がある。


2018/12/22 加筆再編集。



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