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徳島県徳島市川内町のある畑の片隅に小さな竹薮がる。
この竹薮は近くに在った沖ノ嶋城(城主、鈴江修善守道広)が長宗我部氏に攻め滅ぼされた時、落ち延びていった城兵達が討たれた場所だったといわれている。 土地の人はこの竹薮に足を踏み入れると必ずタタリがあるといって誰も近づかない。
沖ノ嶋城主、鈴江修善守道広は大永元年(1521)、将軍足利義稙に従い淡路に渡り、同三年(1523)に鳴門撫養に入る。しかし、ほどなくして義稙が没すると、同五年(1525)、鈴江道広は細川持隆に仕え、沖ノ島城に拠った。 |