月見ヶ丘海水浴場

三好長治終焉の地
徳島飛行場の傍にある月見ヶ丘海水浴場は、幅150~300メートルの広い砂浜が南北300メートルにわたり続き、古くは月見の名所として有名だった。
室町時代末期の連歌師宗祇法師はここを訪れた時に「足る事を知れば茶で済む月見かな」と詠んでいる。
海水浴場の他にテント村もあり、夏には大勢の人々で賑わうこの海水浴場だが、少し外れると墓地や戦国期の武将三好長治が最期を遂げた場所がある。
今でこそ海水浴場であるが、この地は天正5年(1577)3月28日、阿讃淡三国(阿波、讃岐、淡路)の領主であった勝瑞城主三好長治が同族間の争いから異父兄の細川真之に敗れ、淡路に逃れる途中、ここ別宮浦(現在の松茂町長原と豊岡の境)で自決したといういわく付きの場所でもあるのだ。
そのせいか否か、この海水浴場では夜になると幽霊が出るという話がよく聞かれる。それは白いおぼろげな人の形であったり、黒い影のような靄(もや)のような塊であったりと目撃談も様々である。

しかし、この海水浴場も隣接する空港の滑走路拡張事業に伴って消え去る運命にあり、海水浴場がある砂浜は空港ターミナル、廃棄物処分場などに姿を変えることになっている。



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