火薬庫跡の幽霊屋敷

戦時下、大日本帝国陸軍は日本各地に火薬、弾薬を貯蔵、製造するための火薬庫を建設した。
国内の有名な火薬庫としては岐阜県関ケ原町の「玉の火薬庫」(名古屋陸軍兵器補給廠関ケ原分廠)、大阪府枚方市の「禁野(きんや)火薬庫」、鹿児島県鹿児島市の「薩摩藩火薬庫跡」などがある。(注.1)
兵庫県にも「由良要塞 小佐毘火薬庫」(洲本市由良町)、「神野弾薬庫」(大阪陸軍航空補給廠神野分廠)(加古川市加古川町)、「高橋の弾薬庫」(大阪陸軍航空補給廠姫路出張所)(神崎郡福崎町)、「東阿保の火薬庫」(名称不明)(姫路市四郷町東阿保)などいくつかの火薬庫が存在していた。

兵庫県南部のある町の川沿いに大きなマンションが建っている。マンションが建設される以前、ここには「幽霊屋敷」と呼ばれる家があった。
現在マンションが建っている場所には、戦時中、陸軍の火薬庫が設けられていたという話がある。
この火薬庫の詳細については一切情報がなく詳しい事は何も分からないが、爆発事故により廃止されたという。その後、火薬庫があった場所に民家が建てられた。
この家には爆発事故で亡くなった軍人の幽霊がでたという。
平成元年(1989)、この幽霊屋敷のあった場所にマンションが建設された。

爆発事故についての詳細は一切不明。死者が出るほどの事故があったのなら記録が残っていそうなものと思われたが、私が調べた範囲ではこの火薬庫についての記録は何も見付けることが出来なかった。この火薬庫についてご存知の方がおられたらどのような事でも結構ですのでご教示願いたい。

余談だが、禁野火薬庫(大阪府枚方市)では明治42年(1909)8月20日、ダイナマイトの自然発火による爆発事故が発生しており、この事故で10人が負傷、家屋約1495戸が全半壊している。30年後の昭和14年(1939)3月1日、砲弾解体中に発火、填薬弾(注.2)に引火し大爆発が発生。爆発は29回に及び、死者94人、負傷者602人、家屋の全半壊焼821戸、4400世帯以上が被災する大惨事となった。
終戦翌年の昭和21(1946)年4月26日、高橋の弾薬庫(兵庫県福崎町)で爆薬庫保管品類の処理中に爆発事故が発生、占領軍の指揮官コルプリー・ポール中尉ほか米兵2人、日本人労務者7人が爆死している。

注.1 
「薩摩藩火薬庫跡」は陸軍が建造したものではなく、明治初年に薩摩藩が廃寺となった隆盛院跡に建造。廃藩置県に伴い陸軍に移管された。
注.2 
填薬弾(てんやくだん) : 炸薬(注.3)が填実されているが、信管(注.4)を装着していない状態の弾丸、爆弾。
注.3 
炸 薬(さくやく) : 爆弾などに詰めて、爆発(炸裂)させるのに用いる火薬の一種。
注.4 
信 管 : 爆弾などを作動させるための装置。

※おことわり
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