「皆殺しの館」・・・なんともインパクトのある名前である。
それは大阪府泉南郡熊取町にある廃屋に付けられた名前だ。
この廃屋の他にも、(実際に起こった事件とは無関係に)日本各地には一家惨殺の舞台と噂される廃屋が多数あり、半ば「都市伝説」の域になりつつあるように思う。
ここは関西の心霊スポットとしてはかなり有名で、インターネットで「皆殺しの館」と検索をかければかなりの件数がヒットするほどである。
正確には「成合寺」という寺院である。この廃屋にまつわる話は様々なバリエーションがあるのだが、だいたい次のような物である。
今から数十年前(この辺りは曖昧である)、ここに住んでいた家族の父親が突然発狂(一説には薬物中毒であったという話もある)、日本刀で妻と子供を次々と手にかけ、最後には自らも命を絶ったというものである。
また、これとは別に、この家に賊が侵入し一家を惨殺したという話もある。
話はこれでは終わらない。
惨劇の舞台には様々な噂が流れた。
この廃屋に掛かっている表札の名前(=発狂したといわれる当家の主人)を声に出して読むと、呪われるとか死ぬとかいわれている。また、ここに高速道路が通る事になり、この廃屋は解体されることとなったが、解体工事に携わった人間が次々と変死を遂げたため、高速道路はこの廃屋を大きく迂回する形で建設されたという。
そして、いつの頃からかこの家をある人が引き取り、供養のためお寺としていた。
しかし、その人もいつしかいなくなり、次第に荒れていったという。
廃屋の中には、一面にお経が書かれた障子があった、人間の髪の毛の束があった、壁一面に血飛沫が飛び散っていた、首の無い仏像があった、中に入ると奇妙な声が聞こえた、中を覗くと黒い人影が動いていた、最近この廃屋の台所で老婆の首吊り死体が見つかった等、私が調べたり聞いたりした話は以上のようなものだった。
郊外を離れ、次第に山あいへと車は進んでゆく。小さな集落を抜け、少しばかり進むとやがて件の高速道路の下を潜る。カーナビに目をやると高速道路を越えると行き過ぎのようだ。しかし、カーナビの指し示す辺りは鬱蒼とした森があるばかりで何処にも道らしいものは見当たらない。
再びUターンして、先程の集落に車を停め、道を尋ねられる人はいないかとしばらく探す。
集落の中に入って行き、ようやく庭先で日向ぼっこをしていたおじいさんを見つけ、成合寺への道を尋ねる。
「成合寺はもうありません」最初に返ってきたのがその言葉だった。すでに焼失していた事は事前に知っていたのだが、わざわざ「跡」を見に来たとも言い難かったので、知らないふりをして色々とそのおじいさんから教えて戴いた。
山の中の道無き道を彷徨う事約1時間半、ようやく目の前に青々と草の茂る大きな広場を見つけた。これこそが成合寺(皆殺しの館)跡である。
焼失したそこは綺麗に後片付けがされ、今となってはかつての“皆殺しの館”を偲ぶ術も無いが、僅かに建物の土台のような痕跡と井戸と手水鉢だけが残っていた。
私が皆殺しの館について聞いた本当の話は次のようなものであった。
最初にも触れたが、この廃屋は「成合寺」という寺院で、ゴガク上人の開基と伝えられる。
所有者のI氏(表札の名前の人)は、父親の代に大阪市内に移られたそうで、留守となったこのお寺を別の人に管理を頼んでいたらしい。以来、何人かの人がこのお寺に住まわれていたそうだが、いつしか誰も管理する人が居なくなり、やがて廃屋となっていったらしい。
家族を惨殺し自らも自殺したといわれるI氏がご健在な事からも分ると思うが、誰に聞いてもここ(成合寺)でそのような事件があったことは無く、全ては事実無根の噂だったのである。
心霊スポットとして噂が一人歩きしだして久しい平成13年(2001)8月(10月とも)のある日、成合寺は心無い人間による不審火で焼失してしまった。