香川県さぬき市にある日盛山(標高182.8m)は、春には10ha余にわたり5000本の桜が咲き乱れ「日盛山五千本桜」と呼ばれ桜の名所として市民の憩いの場となっている。
山頂を目指し車一台分程度の道幅しかない山道を登って行くと、NTTの巨大なアンテナの横にさくらの名所とは似つかわしくない落書きだらけの廃墟がある。
通称「喝破道場」(かっぱ道場、カッパ道場と表記されることもある)。噂ではかつてここは非行少年、不登校児童などの更生を目的として建設された施設であったという。
ここは香川県では有名な心霊スポットで、集団自殺、或いは大量殺人という凄惨な事件の舞台と伝えられている。
これらの話は人から人に伝わる間に話に尾鰭が付いて様々なバリエーションが出来上がったようで、私が聞いたり調べたりしただけでも数パターンがあった。(先に言ってしまうと何だが、後述するある少女の不幸な事故以外は実際にその様な事件、事故が起こったという事実は(当然ながら)確認できなかった。)
集団自殺にまつわる噂。
・施設での厳しい生活に耐えかねた入所者たちが道場地下の風呂場で集団自殺をした。或いは、施設の屋上から身を投げて集団自殺をした。
・施設での厳しい生活に耐えかねた入所者たちが職員を殺害。職員殺害に関わった生徒数人が施設の屋上より飛び降り自殺をした。
大量殺人にまつわる噂。
・精神に異常を来した入所者(職員、或いは道場経営者ともいう)が入所者、職員全員を殺害した。
・職員の体罰(虐待ともいう)により入所者が死亡するという事故が発生。口封じのため体罰(虐待)を行った職員が入所者全員を道場地下の風呂場で殺害した。或いは、道場の屋上から突き落とし殺害した。
(口封じどころか、事件を大きくしている気がしてならないのだが…)
ある少女の不幸な事故にまつわる噂。
・ここを抜け出した少女が逃げる途中、崖から転落して亡くなった。
・ここを抜け出そうとした少女が助けを求めて根来寺(同県高松市)まで逃げ込んできたが、そこで力尽きて亡くなった。
・ここを抜け出した少女が五色台(同県坂出市・高松市)の山中で遭難し凍死した。
・上記の話はここ(日盛山)ではなく、坂出市の五色台に在る「喝破道場」での出来事であるという。
・上記の話は日盛山でも五色台の喝破道場でもなく、喝破道場(同県坂出市)と隣接するW学園という施設で起こった出来事だという。
そのため、施設の花壇には亡くなった少女の慰霊のために地蔵尊がお祀りされているという。(W学園と喝破道場の運営母体は同じである。)
この事件(集団自殺、大量殺人、少女の事故死)が原因で喝破道場は閉鎖されたという。
閉鎖された時期は、施設を抜け出した少女が変死したといわれる昭和59年(1984)という説が知られているが、平成17年(2005)という話もあるようだ。
様々な噂がある割には、残念ながら具体的にここでどのような怪奇現象が起こるのかについては余り詳しい話を聞く事は出来なかった。
有名な話では、ここを訪れるどこからともなく「こっちにおいで」という声が聞こえるという。自殺?大量殺人?があったといわれる地下の浴場、屋上に幽霊が現れるという。
また、地元の方から聞いた話でによれば、山頂からの眺めがいい事から、肝試しを兼ねてカップルがここを訪れることもあるらしい。そこであるカップルが屋上から夜景を眺めていた時のこと、勝手に彼氏の手が彼女の背中を押しそうになったという事があったらしいと教えてくれた。
俗に「喝破道場」と呼ばれるこの廃墟の正式な名称は「修養団 日盛山道場」という(以下、日盛山道場という)。
地元大井(さぬき市鴨庄大井)出身の高松修徳館道場主であった無双直伝栄信流居合道教士八段、池田幸太郎氏らによって開かれた剣道の道場であった。往時は地元高校生の合宿所としても使われていたこともあった。
冒頭で書いた「日盛山五千本桜」もこの池田氏が終戦前後にモンゴル奥地に消えた三人の子供の冥福を祈り、昭和43年(1968)から5年の歳月をかけて植樹したものである。日盛山道場もこの時に造られた。
何故、日盛山の廃墟が「喝破道場」と呼ばれるようになったのかは定かではないが、同じ香川県内に「喝破道場」という施設がある。
こちらの「喝破道場」は正式には「公益財団法人 喝破道場」といい、前述の日盛山道場とは運営母体も違えば、所在地も異なっている。
この施設は曹洞宗の禅道場で、非行青少年、不登校、引きこもり等の自立支援、社会復帰支援、相談等を行っており、坂出市の五色台山中にある。
昭和59年(1984)冬、喝破道場を抜け出した当時14歳の少女が山中で道に迷い転落。1ヶ月後に凍死体で発見されるという事件がった。
昭和63年(1988)、喝破道場(同県坂出市)で女子中学生が岩場より滑落死するという事故が発生。新聞、テレビ等のマスコミで大きく取り上げられた。(2022/02/07 誤記訂正)
この事があって、一時喝破道場は閉鎖されることとなる。(ネット上では「a子ちゃん事件」と呼ばれているようである。)
前述した日盛山道場の噂として語られる少女の不幸な死は、この喝破道場で実際に起こった事件が混同されたものであることは想像に難くない。
“通称”喝破道場(日盛山道場)の所在地も大きく分けてさぬき市の日盛山(修養団 日盛山道場、廃墟)とする説と、坂出市の五色台(公益財団法人 喝破道場、現役施設)とする説が知られており、この事実だけをとっても日盛山道場と喝破道場が混同されていることが分かる。
余談ながら、その(心霊スポットとしての喝破道場)所在を東かがわ市大内町(おおちちょう)とする説もあるようであるが、これは単に勘違いか探訪者除けのフェイクではないかと思われる。
「いつ、誰が、誰を、どのように」殺したのかについては置いておくとして、本当にこのような集団自殺あるいは大量殺人が起こったのなら、新聞等の記録に残っていて然りであり、仮に何らかの圧力がかかり隠蔽が行われたとしても、普通は世間の知るところとなっていてもおかしくはないと思われる。
日盛山道場が閉鎖された本当の理由は、集団自殺でもなく、大量殺人でもなく、ただの資金繰りの行き詰まりで閉鎖されたという事である。
未だに解体されずに無残な姿を晒しているのも、交通の便の悪い山頂に残されたコンクリート製の建造物を解体するにはそれなりに多額の費用が掛かるからということだった。
以下、日盛山道場とは無関係な話も含め、日盛山を訪れて見聞きしたことを書いておく。
・日盛山周辺には手がん谷、死人谷、尼無し谷、赤子池、蜘蛛手池と呼ばれる場所があり、ここに妖怪が現れては村人たちを苦しめていた。ある時、奥州出羽の浪人がこの妖怪を退治し、手がん谷の辺りに住んだという。この時、出羽の浪人が掘ったといわれる井戸が今も「出羽の泉」として残っている。
・日盛山山腹の長浜地区には塚や祠が多く見られる。これは屋敷神がそのまま残ったものや、源平合戦の戦死者の供養塔や墓碑と伝えられている。
・桜の名所として知られる日盛山だが、かつてこの山の桜の木で首吊り自殺があった。
・谷村弥三郎顕彰碑。日盛山山頂に在る。さぬき市造田出身の小野派一刀流、一左新流目録皆伝、二刀流剣道教士、谷村弥三郎の遺業を忍び、その門人たちが昭和44年(1969)に建立した顕彰碑。(「志度のいしぶみ」(平成8年、岡村信男 著、志度町役場公聴広報課 発行)に記載あり。 )
・修養団二大誓願の碑。日盛山山頂に在る。修養団の団員になるためにはこの二つの誓願をしなければいけない。その誓願を刻んだ石碑。
※おことわり
(1) 本記事の内容は“ミステリースポット”の紹介として掲載をしているものであり、特定の地域、人物、組織(企業、団体、機関等)、施設等の名誉棄損、誹謗中傷、揶揄等ならびに業務の妨害等を目的としたものではないことをご承知おきください。
(2) 可能な限り事実確認、検証をしておりますが、情報源は風聞によるところも多く、とりわけ「怪談」や「不思議な話」といった類の物としてお読みいただければと存じます。
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2022/02/07 加筆再編集