三段池公園は京都府福知山市の北東にある総合公園である。
公園の名前にもなっている三段池は時の福知山藩主、松平忠房により潅漑用池として作られたもので、この三段池三段池を中心に、体育館、植物園、動物園、児童科学館、テニスコートなどの施設があり、多くの人の憩いの場所となっている。
また公園内には稲葉山古墳群、猪崎城址(城山)などもあり、隣接して墓地(福知山三段池霊園、養泉寺墓所など)も数箇所見受けられる。
市民の憩いの場である三段池公園だが、自殺の名所あるいは心霊スポットという不名誉な側面を持っている。成仏出来ない霊が池を中心に一帯に彷徨っているといい、その影響で昼間でも心霊写真が撮れるほどだという。
自殺に縁のある土地となってしまった背景は明治時代にまで遡ると思われる。
かつては、この近くに「猪崎新地」という遊郭があった。全盛期の明治末期には貸座敷約80軒、娼妓200人を有していたという。
真偽のほどは定かではないが、ここから逃げ出した娼妓、あるいは梅毒を患った娼妓が世を儚んで三段池に身投げをしたという。今も成仏出来ない娼妓達が池のほとりを彷徨っているのだという。
近世になり池の周辺一帯が公園として整備されてからも、池での入水自殺(親子心中もあったという)が多く、更には園内の雑木林での首吊り、トイレ内での自殺(第11駐車場の男子トイレの個室が南京錠が施錠され使用禁止となっている)、駐車場での練炭自殺、施設からの飛び降り、焼身自殺など園内での自殺が後を絶たず、年間に10数人がここで亡くなっているという話も聞いた(流石にそれは多すぎるのではないかと思うが…)。
年間10数人の自殺者が出ているという話はにわかには信じがたいが、近年の自殺報道の自主規制(ウェルテル効果の抑止、故人のプライバシーを慮って等の理由によると思われる)でこれらは一切新聞やニュースで報じられる事はないという。
自殺ではないが、三段池公園のシンボルとなっているモニュメント(「水と緑と生命(いのち)」、平成8年3月設置)のところでは交通死亡事故が発生しているという。
目撃談としては、公園の中にある電話ボックスに白い服の女性(の幽霊)が立っているという話が有名で、次いで池や墓地付近でよく幽霊が目撃されているという。ここに現れる幽霊は女性もいれば男性もいるらしく、中には上半身だけの男性が浮いていたとか、日本兵が行進している姿を見たという話もある。(注.1)
また、公園内にある猪崎城址(城山)の辺りでは、夕方になると法螺貝の音が聞こえてくることがあるという。
現地を訪れ心霊現象に限らず土地のことなど様々な話を求め尋ね歩いていて、ここにまつわる奇怪な話を聞く事が出来たたのでここに書き記そうと思う。
ある学校の男性の先生が遠足の下見にこの公園を訪れた時の事だった。
一通り遠足の下見を終えた頃には、既に日は西に傾き夕方になっていた。尿意を催した先生は公園のトイレに入る。小用をしていて、何気なく前を見ると正面の窓から誰かが覗いている。
驚いたがそれがガラスに映った自分の顔だと分かると、自分のそそっかしさに苦笑いしつつ用を終え再び窓を見上げた。
そこには青ざめた顔で白目をむいた自分の顔が映っていた。
何が起こったのかわけも解らず驚いてトイレから飛び出そうとしたその先生が次に見たものは、トイレの入口にぶら下がった自分の首吊り死体だった。恐怖と混乱でパニック状態となった先生は我を忘れ一目散に逃げ帰った。
数日後、その先生は突然亡くなった…
余談になるが、同じ京都にある円山公園(京都市東山区)のトイレでも自分の首吊り死体に出くわす事があるという話を聞いた。
注.1 関係があるのか無いのかは分からないが、三段池公園の北方2.5キロメートル程の所、現在の陸上自衛隊福知山駐屯地には1898年(明治31年)8月に大阪より移転してきた歩兵第20連隊がいた。同隊は1944年(昭和19年)10月、レイテ島(フィリピン)にてアメリカ軍と戦い玉砕している。
2019/09/21 加筆再編集。