古い都市地図を見ていて気になる場所を見付けた。
K市の中心部に火葬場が2箇所も在り、しかも、それら二つの火葬場は直線距離にして約1.4キロメートル程しか離れていない。
火葬場といえば住宅街から離れた郊外の山間部にひっそりと設けられているというイメージがあったのでこれには驚かされた。
そこで私はK市在住の知人にそのことについて尋ねてみたのだが、地図で火葬場が示されている辺りは市街地で、到底火葬場が在る様な場所ではないという答えだった。更に、概ね火葬場は(面積や人口にもよると思うが)ひとつの市町村に1箇所程度で、そうそう其処彼処に在る物ではないとも教えてくれた。
地図の奥付を見ると「昭和57年2月発行」と書かれている。なるほど、確かに昭和57年(1982)当時はここに火葬場が在ったのであろう。
今その火葬場跡はどうなっているのだろう?
何がある訳でもなく、知ってどうなる訳でもないのだが…
先ほどの知人に案内を頼み地図を頼りに火葬場跡へと車を走らせる。
二つ在る火葬場のうちの一つ目、K町に在ったという火葬場を探す。
幹線道から少し入った住宅街の外れ、目の前には小学校と幼稚園。
地図によるとこの辺りだと知人が教えてくれた。
それほど広くない道のすぐ横に金網に囲まれた一角が在る。金網には「○○地区町内会 管理地」と大きく書かれた看板が付けられている。
住宅地の一角に手付かずで残る金網に囲まれた土地。
ここがK町の火葬場跡で間違いないと思われる。
次なる目的地N町の火葬場跡
へと知人に案内してもらう…
2025/01/21 追記
古写真を見ると火葬場は寺院風の木造建築で、入口左側に六地蔵があり、正面に寺院の本堂のような告別棟、その右隣に控室と思われる建物があり、奥には火葬棟のコンクリート製らしき煙突が見える。
供用開始時期は詳らかではないが、当初火葬炉は煉瓦造りの木薪炉であったといわれ、時代の変遷と共にバーナーになった。昭和60年(1985)廃止。
特筆すべきは、昭和54年(1979)火葬場の北東の隣接地に市立の幼稚園が開園、昭和60年(1985)に火葬場が廃止されるまでの間火葬場と幼稚園が隣り合って建っていた。火葬場の入口は北西、幼稚園入口は南東にあり、ゾーニングに配慮されていたものと思われる。
(参考:『火葬場』、昭和58年、浅香勝輔・八木澤荘一 共著、大明堂 ほか)