N町火葬場跡

N町火葬場跡
古い都市地図を見ていて気になる場所を見付けた。
K市の中心部に火葬場が2箇所も在り、しかも、それら二つの火葬場は直線距離にして約1.4キロメートル程しか離れていない。
火葬場といえば住宅街から離れた郊外の山間部にひっそりと設けられているというイメージがあったのでこれには驚かされた。
そこで私はK市在住の知人にそのことについて尋ねてみたのだが、地図で火葬場が示されている辺りは市街地で、到底火葬場が在る様な場所ではないという答えだった。更に、概ね火葬場は(面積や人口にもよると思うが)ひとつの市町村に1箇所程度で、そうそう其処彼処に在る物ではないとも教えてくれた。

地図の奥付を見ると「昭和57年2月発行」と書かれている。なるほど、確かに昭和57年(1982)当時はここに火葬場が在ったのであろう。

今その火葬場跡はどうなっているのだろう?
何がある訳でもなく、知ってどうなる訳でもないのだが…
先ほどの知人に案内を頼み地図を頼りに火葬場跡へと車を走らせる。

K町の火葬場跡を訪れた後、N町の火葬場跡を探した。
地図によるとこの辺りだと知人が教えてくれた場所には、大きな遊技施設とその駐車場、そして自動車販売店が2軒ほど建っていた。
しかし、よく見ると遊技施設の駐車場の片隅に雑草に埋もれるようにして一基の地蔵尊が見えた。
駐車場と新興住宅に挟まれるようにして佇む低いブロック塀に囲まれた雑草に埋もれた一角。
雑草に埋もれたお墓 雑草を掻き分けて中に進むとそこは墓地だった。大きな石に彫られた六地蔵が佇み、雑草に埋もれながら小さな石積みがいくつか見受けられる。奥にも数基の墓石が雑草の中から辛うじて頭だけを覗かせている。
その雑草の生い茂る一角が墓地であるということが判った時、胸がつまり言葉に出来ない感覚が全身を支配した。
訪ねる人も無く、もはやそこが墓地であることさえ忘れ去られ、挙句にゴミまで捨てられている。
目の前の光景にただただ言葉を失い、遣り切れない気持ちで一杯になっていた。

画像では分かり難いかも知れないが、雑草に埋もれるようにして小さな石積み(お墓)が所狭しとある。

2018/06/13 追記
作られた年代や経緯は不明だが、本箇所は両墓制における「埋め墓」かとも思われる。
火葬場が廃止された後に墓地が作られたのか、元から火葬場の傍に墓地が在ったのかまでは定かではない。
両墓制とは、遺体を埋葬する墓地と墓参用の墓地の二つの墓を作る葬制で、埋め墓とはその名の通り遺体を埋葬する(している)所を指す。両墓制は近畿地方に多く見受けられる葬制である。






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