西中島交差点

西中島交差点
大久保(明石市)から岩岡(神戸市西区)方面に北上すると、道は八号池(八号上池)に突き当たるような形で丁字路(西中島交差点)になっている。
丁字路の突き当りは池の小さな土手があり、その手前に八号池記念碑が建てられている。
夜、石碑の辺りに白っぽい着物?浴衣?を着た老婆が立っていることがあるという。
詳しいことは分からないが、この交差点で交通事故で亡くなった人がいたのだろうか、あるいはこの池で亡くなった人がいたのだろうか。

丁字路は事故多発箇所や心霊スポットと言われる場所が日本各地にあり(神奈川県清川村の「やまびこ大橋」や沖縄県うるま市うるま市の「浜比嘉島の県道238号の丁字路交差点」、神戸市須磨区の「松風町高架側壁」など)、丁字路付近にある家は心霊現象が起きやすいといった話もある。
風水的には、丁字路は気がぶつかったり滞る場所と言われ、石垣島あたりでは「マジムン」という真っ直ぐにしか進めない魔物が丁字路の突き当たりから家に侵入するとの言い伝えから「石敢當」(いしがんとう)という魔除けの石を据えているところが多く見受けられる。

参考 八号池記念碑 碑文

岩岡開拓の歴史は元禄年間にさかのぼる
爾来、当地方は水利に乏しく農業は畑作中心あった。
明治に入り地租が改正されるや農民は重租に苦しみ、あまつさえ頻年の旱害に農民の疲労甚だしく、いわゆる“民資漸く尽きんとして所在嗟嘆の声を聞く“有様であつた。
その窮状打開の方策は、稲作に転じる以外になく、故木下虎彦翁筆頭に岩岡の先覚者達は、こぞつて淡河川山田川疎水工事の起工を決し、史上稀なる難工事が開始され、大正四年三月十日完工、ここに岩岡農業発展の基礎が確立されたのである。
その後、岩岡支線、溜池の築造、用水路が建設され、八号池(上下)はその中の一つである。大正二年三月着工、同四年五月竣工、工事費壱万九千余円、築造当時の受益反別三十六町六反余、請負業者、加順源四郎氏、 田頭関係者六十一名によつて、その完成をみる。築造工事にかかわる労苦は、筆舌に尽しがたきものがあつたと推測される。
其の後昭和四十年代に至り、国土開発に伴う東播用水開発の見通しがつき、昭和四十七年田頭一同協議の上、神戸市水道局に下池を売却す。
今回国、県、市より、老朽溜池改修工事の指定を受けるに至り、これが改修に着手す。



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