手振り地蔵 (飾磨)

手振り地蔵があったと言われる墓地
“手振り地蔵”といえば西宮の満池谷墓地にある少女像が有名だが、かつて姫路にも手振り地蔵と呼ばれる地蔵尊があったという。
「今は昔 播磨怪奇ばなし」様に姫路の手振り地蔵の話が詳しく書かれている。

以下に引用させて頂く。

飾磨工業高校の前に墓地がありそこでのお話しです。
一番奥あたりに第一次世界大戦の頃亡くなった男の子の地蔵様があり
軍服を着て足にはゲートルを巻き、学生帽を被り、右手で敬礼をしている姿でした。
車のライトが当たるとまるで手を振っているように見えるのです。
そのことから“手振り地蔵”と呼ばれていました。
ちょうど墓地があった所には家が建ちならび、駐車場にもなり
今は墓地は小さくまとめられ、その地蔵様はありません。
どこへ行ってしまったのでしょうか?

子供が車にはねられたり、事故が続いたそうな。
なかでも一番衝撃的な事故は、車を運転していた人の首だけが
切断されてフロントガラスを突き破りボンネットの上に首だけが載っていた。
墓を動かすということは大変恐ろしいことではないのでしょうか
仏が眠っているのを妨げてはいけないのでは、真相はいーかーにー。

車のライトの加減で地蔵尊が手を振っているように見えるという話は六甲山や西宮の甲山、生駒山にあるといわれる手振り地蔵にも同様の話があるが、姫路にあったと言われる手振り地蔵は、手を振っているように見えるというだけで特にそれを見たことによって何かが起こるといったような事は書かれていなかった。

「今は昔 播磨怪奇ばなし」様の記事の日付は2008年2月で、既にこの時点で手振り地蔵は無くなっていると書かれているが怪奇な噂の舞台をこの目で見てみたいと思い姫路を訪れた。
以前、この近傍にあるショッピングモールに来た時に大体の見当をつけていたので墓地にはすんなりと着くことが出来た。
墓地はファミリーレストランの駐車場とコンビニエンスストアの駐車場に挟まれるように在った。件のサイト様に書かれていたことから鑑みるに、墓地は今よりも広かったが土地を売って現在の区画になったものと思われる。
墓地には古い墓石から新しい墓石までが立ち並ぶ。何か手掛かりや名残でもないものかと墓地を歩いてみるが、墓地内には新旧を問わず地蔵尊そのものが無かった。
永い年月の風雨により傷みが激しかったのだろうか、お祀りする人がいなくなったのだろうか、軍服姿の地蔵尊(手振り地蔵)は撤去(或いは移動?)されたようだ…

相次いで起こった交通事故が墓地の区画整理や地蔵尊を動かしたことによるものか否かは定かではないが、塚や墓、供養塔などを動かす(移転させる)とタタリがあるということはよく耳にする話である。

参照元 : 「今は昔 播磨怪奇ばなし」様より「手振り地蔵の怪・姫路市飾磨」



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