真説 手振り地蔵

少女のブロンズ像 阪神間ではかなり有名な話なので「手振り地蔵」の名前を耳にされた方も多いのではないだろか。地蔵とはいっても噂されているのは通称「まりちゃん」と呼ばれる少女のブロンズ像で、西宮市の満池谷(まんちだに)墓地の中に立っている。
聞くところによると『火垂るの墓』(野坂昭如 著)に登場する清太、節子兄妹の節子をモデルにしているとも言われるが定かではない。
確かに小説等では清太、節子兄妹は叔母の家を出て満池谷墓地のすぐ傍のニテコ池のそばの横穴で生活しているというシーンが登場する。
また、この少女は節子がモデルではなく、転がっていったボールを追いかけて交通事故で亡くなった少女、或いは逃げ出したウサギを追いかけて交通事故で亡くなった少女という話もあり、親が少女を偲んでこの像を造り市に寄贈したという話もあるが真偽のほどは定かではない。

少女の像自体は高さ1メートル程だろうか。花崗岩の高い台座の上に建てられ、左手で手毬を抱え、右手を空にかざすように差し出している。その足元にはウサギが寄り添うように座っている。
以前は墓地中央のロータリーの中央にあったのだが、平成7年(1995)の阪神淡路大震災で倒壊、現在は納骨堂の前に場所を移して建てられている。

深夜この像を見に行くと、月明かりに照らされた少女の右手が「おいでおいで」と手招きをするように動いて見えるというのだ。
また、左右に「バイバイ」と振っているように見えた時は何もないが、「おいでおいで」と手招きをしているように見えた時は帰りに交通事故に遭うので気を付けなければいけないという話もある。それは、(像のモデルとなった)少女が交通事故で亡くなったためだという。
噂が流行った当時は毎晩多くの若者達が見物に来るほどだった。
実際に震災が起こる数年前に私も友人達と見に行った事があったが、夜の闇に街灯の明かりで照らし出された少女の右手を凝視していると、目の疲れから来る錯覚で微妙に揺れている様に見えるのではないかというのが正直な感想だった。
事実、手招きするのは夜間に限られ、昼間には手を振らないという話もそう考えると納得がいくような気がする。
噂は他にも様々なバリエーションがあり、先にもふれたが、少女の手招きを見てしまうと必ず帰りに交通事故に遭う、深夜に少女が毬をついている音が聞こえる、雨降りの日に少女の像が毬をつく、像の足元のウサギが駆け回るといったものから、墓地とニテコ池の間を走る道路をこの少女の幽霊が追いかけてくるといったものまである。
真偽のほどは定かではないが、墓地の近くに在るK小学校の生徒が、深夜この墓地に肝試しに訪れて行方不明になったという話などもある。この少女に異界へと手招きされて帰ってこれなくなったのだという。
また、少女の幽霊ではなく、この少女の像の周囲にたくさんの子供の幽霊を見たという話もある。
その話によると、その子供達の幽霊は、(見物にきた)若者たちを見つけると一斉にこちらに向かって駆け寄ってきたので慌てて車を出した。すると、その翌日、車の其処彼処に小さな子供の手形がついていたという。

真 手振り地蔵 しかし、何故、少女のブロンズ像を“地蔵”と呼ぶのであろう?

それにはこんな隠された事実があった。
本当の「手振り地蔵」は別の所にあったのである。ただ、たまたまその近くに手を上げた少女のブロンズ像があることからそれが混同され、いつしか“少女のブロンズ像=手振り地蔵”になったのが真相だという。
では、本当の手振り地蔵は何処にあるのか?
それは、同じ満池谷墓地の納骨所(納骨堂ではない)のピラミッド型に積み上げられた石仏や墓石の頂点付近、二つ並んだ石仏の右の石仏が“本当の手振り地蔵”なのだという。
そして、深夜に見詰めていると希に手招きをするのを見ることがあるという。

手振り地蔵の話は裏六甲にもある。
六甲山の何処なのか詳しい場所は私も知らないのだが、あるカーブのところに地蔵尊が立っており、夜に車で走っているとヘッドライトの陰影で手を(左右に)振っているように見えるという。
ただ、それはあくまで目の錯覚であって特に害は無いのだが、そのお地蔵さんが「おいでおいで」と手招きをしている様に見えたらそのままカーブに激突してしまうという話である。
また、雨上がりに見ると必ず手を振っているように見えるとも聞いたが、何分にも詳しい所在が特定できないのでこの話は残念ながら今のところ確かめようが無い。






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