真説 ユネスコ会館 【前編】

現在のユネスコ会館 何故、今更ユネスコなのか・・・という気もしないではないが、この季節(夏)になると、一部では未だまことしやかに関西最大の心霊スポットのように語られているので、改めてここでユネスコについて検証をしてみたくなったというのが実際の所である。

心霊スポットとして語られるユネスコについて、まず大まかな話を書いてみよう。
噂という物は人から人に伝わる間に、個人の主観などが入り様々な形に変化してゆく。ユネスコもその例外ではなかった。
噂としては、様々なバリエーションがあるが、だいたい以下のようなものである。

【1】精神病院説
かつてここは「ユネスコ病院」と呼ばれる精神病院だった。
昭和62年(1987)、自由の無い生活を苦にした患者たちが、病院の職員を人質(巻き添え)にして、合わせて13人が地下のボイラー室で集団焼身自殺をはかったというもの。

【2】宗教施設説
かつてここは「ユネスコ」と呼ばれる新興宗教の施設だった。
昭和62年(1987)、何らかの理由から信者13人がここの地下のボイラー室で集団焼身自殺をしたというもの。

【3】複合説
これは上記の二つの話が混同されて出来上がった話と思われる。
かつてここは「ユネスコ病院」と呼ばれる精神病院だった。
しかし、その患者の中からカリスマ的存在の患者が出現し、一部の患者から信奉を集めていた。
そして、昭和62年(1987)、世をはかなんだカリスマ教祖が12人の患者(信者)を伴い地下のボイラー室で集団焼身自殺をしたというもの。

ユネスコが心霊スポットと呼ばれる理由は、以上のような“お膳立て”の上に成り立っている。

追記参照

そして・・・
これは私も聞いた話なので真偽の程は明確ではないが、関西の私立K大学のサークル(走り屋グループだったともいう)が集団でユネスコを舞台にした怪談を作り上げ、大学内にそれとなく広めてまわった。そして、彼ら(噂をでっちあげたサークルの面々)は肝試しにやって来た大学の後輩たちを待ち伏せては、様々なイタズラをして驚かせたのである。
本来はサークルの後輩達を驚かすためにでっちあげたイタズラだったのだが、予想外にこの噂が広まり、やがて噂は大学内に留まらず、結果として近畿一円にまで一人歩きを始めたのである。
あまりの影響の大きさに、(大学のサークルの)首謀者達は恐れをなし早々に撤退、以来、そのサークルではその話は禁句になったという話を聞いた。

1990年代前半、ユネスコを心霊スポットに位置付ける決定的な事が起こる。
地下のボイラー室 それまで人伝に広まっていただけの噂が、視聴率こそが命である無責任なマスメディアたちによってTVなどで面白おかしく取り上げられ、ここにユネスコは心霊スポットとしての確固たるポジションを作り上げられてしまう。
それを機に、心霊スポットを扱った雑誌やインターネットで瞬く間に噂は広がり、“ユネスコ=集団自殺の舞台”という構図が確立してしまう。

TVの力は偉大である(苦笑)

以来、深夜にここを訪れる若者達が後をたたなくなり、本当なのか思い込みなのか、怪奇現象を体験したという連中が後を絶たなかった。
数え上げればきりがないが、たとえば、白い人影を見た、地下のボイラー室から苦しそうな呻き声を聞いた、地下のボイラー室の奥の部屋に誰かが座ってこっちを見ている、耳元で囁かれた、霊に取り憑かれた、帰りに事故を起こした(それは本人の問題だと思うが/笑)などなど、数え上げればきりがない・・・
また、種類の違う噂としては、ユネスコの廃墟は現時(当時)暴力団関係者がアジトとして管理しているので、侵入すると袋叩きに合うといった話まであった。(同様の話は割とあり、兵庫の武家屋敷、大阪の一龍旅館、愛知の三角屋敷などある。)
幽霊の存在の有無をここで説く気はないが、確かに焼け焦げた廃墟に、雨水が溜まった地下のボイラー室、それだけで雰囲気は十分なのだろう。


2011/04/11 追記
心霊スポットとしてのユネスコを語る上で欠かせない“集団焼身自殺”というキーワードだが、これは、前年に起こった新興宗教教団の信者による集団焼身自殺が噂のベースになっていると言われている。
昭和61年(1986)11月1日、エホバを主神とする新興宗教教団「真理(みち)の友教会」(信者約120人前後)の教祖、宮本清治(62)が肝硬変により病没したことで、同団体の25歳から37歳までの独身女性信者7人が和歌山市毛見の浜の宮海岸で灯油をかぶり集団焼身自殺をするという事件があった。当時、この事件はニュース等で大きく扱われた。


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