戦国時代、六甲山で六人の武将が処刑された。 首を刎ねられた六人の武将の亡霊が自らの兜首を探してこの山を彷徨い歩いていたことから六つの甲(兜)の山と書いて六甲山と呼ばれるようになったという。 麛坂皇子、忍熊皇子の伝説(「六つの首」参照)が基になって出来た話と思われる。