平成14年(2002)5月25日、午後の7時か8時前後の事だったと思う。
それは一本の電話から始まった。
残念ながら経緯は詳述出来ないが、その電話は、徳島県に住むある女性に「犬神」が憑いたらしく、その女性が苦しんでいるという内容だった。
犬神とは、狗神、隠神(ともに読みは「いぬがみ」)とも書かれ、徳島県、高知県、中国地方の一部、大分県において広く信じられている憑依現象の一つで、その姿は目に見えないとも、手のひらに乗るほどの小さな犬のような姿をしているとも、鼠のようなものとも言われている。
鳥山石燕の『画図百鬼夜行』では御幣を手にした神官の姿で描かれ、『化物づくし』、『百怪図巻』には袈裟を来た僧形で描かれている。
そもそも犬神とは、呪術者が犬を土中に首だけ出して埋め、届かない程度に目の前に食べ物を美味そうに盛り付け、飢えて飢えて餓死寸前の犬が食物に執念を集中させている所を、刀で一刀の元にその犬の首を刎ねる。そして、その首(または怨霊ともいう)を祀ることにより使役出来るようになったものといい、犬神は主人のために他人から富を盗み取ってきたり、その家の者に憑いて病気にしたり、殺害したりするというものである。
この犬神は、ある特定の家筋に代々伝えられるとされ、その家筋を「犬神筋」「犬神統」などと呼び、この家筋の者に怨まれたり妬まれたりすると、犬神に取り憑かれて病気や災難に見舞われると信じられ、今尚、一部の地域では、犬神筋の者との縁組は現在でも忌み嫌われており、重大な社会問題になっているとも聞く。
さて、話を戻そう。
その電話を受けた私は、その犬神に憑かれ困っているという女性に直接話が伺えると聞き、すぐさま車を飛ばし、一路徳島県へと向った。
プライバシーの問題があるので詳述は出来ないが、その女性は徳島県内に住む90歳少し手前のお婆さんだった。そのお婆さんを仮にAさんと呼ぶ事にする。
Aさんの話によると、数年前に腰を悪くされ入院生活をされていたのだが、私が訪れる数日前に同じ病室のBさん(仮名)からその犬神をもらった(うつされた)というのである。
それは、Bさんの周囲を動く4~5センチほどの小さな何か(Aさんの言うところの犬神)を見て暫くしてから、頭と眼に激痛が起るようになり、余りの痛みに眼が見えなくなるという話だった。
失礼な表現だが、Aさんと会話をしていても実にしっかりとしておられ、所謂認知症などではない事をお断りしておく。
Aさんの言うには、犬神は常にAさんに憑いているのではなく、現れたり消えたりするそうで、現れると激しい頭痛や眼の痛みが起るという話だった。Aさんはご家族にこの事を訴えたのだが、ご家族の反応は半信半疑、むしろどちらかといえばAさんの入院生活からくる我儘という見解だった。
Aさんはそれでも、K寺(仮名)では「犬神落とし」(除霊)をしてくれるので連れて行って欲しいとご家族に頼むのだが、ご家族はご家族で複雑な心境らしく、お寺に連れて行って気分的に落ち着く(納得)するのならいくらでも連れて行くが、一度Aさんの我儘を聞けば、さらに我儘を言うのではないかと心配なのだとご家族の方は私に話してくださった。
何とも難しいところである…
正直、私如きに「犬神」の存在の有無は断言できない…
Aさんがただの我儘で言ってるにしては余りに真実味がある、しかし、ご家族の言い分も解らなくはない。
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