学園都市の落武者

外大前の交差点
その昔、友人と怖い話の話題になった時に
「伊川谷に落武者の幽霊が出るんだって」
という話をしたところ、半分笑いながら学園都市にも(落武者が)出るらしいと教えてもらった。
学園都市(正式名称「神戸研究学園都市」)といえば、西神ニュータウンの一角を占める公立私立の様々な学校が集っている地域で、出来た(街開き)のは昭和60年(1985)と比較的近年のことである。古戦場や城跡ならいざ知らず、近年になって開発された学術都市(学園都市)で落武者の幽霊が出ると言われても半分冗談で言っているのかとさえ思ってしまっていた。
友人が言うには、人から聞いた話なので嘘か本当かは分からないけれどと前置きしたうえで、
「確か毒入りカレー事件があった年(1998)だったと思う、外大(神戸市外国語大学)前の三叉路のところに横断歩道があって、真夜中になるとその辺を落武者の行列が歩いているのを見たってヤツが何人かいたって…」
と教えてくれた。

学園都市が出来るよりはるか昔にこの辺りでなにか戦でもあったのだろうかと調べてみた。
学園都市(神戸市西区学園東町、同区学園西町)が出来る前の地名は、西区伊川谷町前開、同町小寺、同町長坂の各一部で、昭和59年(1984)7月に市街地開発により現在の町名となった。(参考 : 『神戸の町名 改訂版』、平成19年、神戸史学会 編、神戸新聞総合出版センター 刊) 今でこそ地名も街並みも変わっているが、かつてはこの辺りも一面の田畑や雑木林に囲まれた「伊川谷」であった。
何でもかんでも平家の落武者と関連付けるつもりはないが、 北に2キロメートルほどの所に平家の伝説が残る太山寺があり、西に3キロメートルほどの所には平家の落武者が隠れ住んだといわれる永井谷がある。
「伊川谷の落武者」 でも触れたが、伊川谷周辺で合戦があった記録は無く、外大前に現れた落武者の幽霊は戦に敗れ落ち延びて行く途中に命を落とした平家の落武者だったのだろうか…

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